*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。
ジョージ・マロリー
George Leigh Mallory [1886-1924]
1921年隊 登攀班/22年隊 登攀班/24年隊
登攀班(途中から登攀リーダー)
ウィンチェスター校の教師グレアム・アーヴィングの薫陶を受け、登山に目覚める。ケンブリッジ大学を卒業後、チャーターハウス校で教職に。大戦中は王立要塞砲兵に所属。ソンム会戦ではからくも命拾いをし、偶然と幸運が重なってその後の激戦を免れた。有望な登攀要員として三度の遠征に参加。24年隊では若き隊員アーヴィンとともに頂上ピラミッド基部の手前で目撃されたのを最後に消息を絶つ。1999年に遺体発見。
『沈黙の山嶺』が描くエヴェレスト挑戦物語の主人公ジョージ・マロリー。はつらつとして運動が得意、学生時代は器械体操にも才能を発揮し、山に入れば「さざ波が広がるような抑えきれない動作で岩をひょいひょいと登った」(『沈黙の山嶺』「注釈付き文献」)といいます。
マロリーの登りようについてはほかにも、「落ちようとしても落ちることができない」とか、「驚くほど長い腕、強い力、それに見事な技術が合わさって猫のような敏捷さを備えた[マロリー]は、それほど能力のない登山家だったら身の危険を感じるような岩の上でもすっかり安心していられた」(ともに第五章)といった評があります。
そんなマロリーですが、ひとたび岩を離れると注意散漫で忘れっぽく、周りの人たちに散々迷惑をかけていたようです。
マロリーは心も魂も、とにかく存在全体がエヴェレストだけに集中していた。[マロリーの]荷物はいつもめちゃめちゃだった。マロリーの動きは自然と優雅だった、とモリスは懐かしく思い出した。身体も完全に均整がとれていて、それなのに「どこに行っても散らかしてくる」。数日後、隊員たちは散乱したマロリーの持ち物を交替で片づけることに決めた。(第十章)
マロリーは機械類の扱いも不得手で、1921年にはエヴェレストの北側を偵察中、ガラス乾板の裏表を逆にしてカメラに入れてしまい、地勢を記録する写真が1枚も撮れていないことがわかって恥ずかしい思いをします。また同じころ、プリムス・ストーブにうまく点火できず、テントごと燃やしそうになったことが少なくとも2度ありました。
(続く)