*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。
山を下りるとおっちょこちょいで機械音痴。眉目秀麗、作家志望で知識人ぶるけれども実は甘えん坊でいたずら好き。そんなジョージ・マロリーを、周りの隊員たちはいらいらさせられながらも概ね寛容に受け止めていたようです。彼らにとってマロリーは、登山に関しては頼りになるが、それ以外のときは、(実際の年齢差は別にして)世話の焼ける弟のような存在だったのではないかと思っています。
『沈黙の山嶺』第十三章に、印象的な記述があります。
マロリーはオデル、サマヴェル、アーヴィンが泊まっていたウィンパー型テントに潜り込んだ。サマヴェルはおもしろがって見ていたが、マロリーはブーツとズボンを脱ぎ、ルースが編んだお気に入りのかかとのない長靴下を履いて、自分の荷物からトランプ一組と、読み古した『人間の精神』を取り出した。(第十三章)
私なども一日の終わり、帰宅してほっと一息つくときに「もこもこソックス」に履き替えたりしますが、ついそれを連想して親近感がわきました。
マロリーの山に対する一途さと、それ以外のことについての無頓着ぶりとが同時に垣間見える次の描写もとても好きな箇所です。1921年にチベットを横断中、前夜に見たエヴェレストの姿が忘れられなかったマロリーが、夜明けと同時に起き出してエヴェレストを見に行ったのを別の隊員が見ていました。
マロリーは翌朝も早く起きた。エヴェレストの眺めが頭から離れず、眠れなかったのだ。ウィーラーは、夜が明けてすぐ、マロリーが寝巻姿で上靴を履いたまま砂丘を越えて歩いていくのを見た。(第六章)
(続く)