『沈黙の山嶺』おもしろ小話集 第3回 最後の日のマロリー (3)

*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。

 

 

1924年6月、隊の撤退前にもう一度だけ頂上に挑もうとしてアーヴィンと二人でノース・コルのキャンプ4を出発したマロリーは、北稜上のキャンプ5にはコンパスを、キャンプ6には懐中電灯を忘れていきます。固定ロープどころか決まったルートもなかった当時、いよいよエヴェレストの頂上に達するかもしれないという日にコンパスと懐中電灯を持たずに行くとは信じがたい大失敗のように思えますが、『沈黙の山嶺』著者ウェイド・デイヴィスは次のように指摘しています。

 

「そのような失敗をしたのがマロリー以外の誰かだったら、標高によって集中力が失われたのかもしれないということになり、大きな懸念の種になっていただろう。しかしマロリーの場合、これくらいはよくあることだった。いつものように忘れっぽく、出発を急いで焦っていたのにすぎないと思われる」(『沈黙の山嶺』第十三章)

 

忘れ物は別にしても、マロリーはいざ山に登れば同行する仲間を思いやり、いくら自分が先に進みたくてもけっして無責任なことはしなかったと、1922年にサンカル・リに一緒に登ったハワード・サマヴェルが述べています。その日体調が悪かったサマヴェルは登るのが遅く、何度もマロリーを待たせ、結局二人は頂上の手前で引き返しました。それでもマロリーは嫌な顔ひとつしなかったとサマヴェルは言います。

 

「マロリーは実に辛抱強く、先に進みたくてたまらないのも見てわかったが、それよりも、自分より遅い仲間への深い思いやりのほうがずっとはっきり伝わってきた」(第十章)

 

そして運命のあの日。三年越しの努力の末にやっとエヴェレストの北東稜に出たマロリーは、それまで以上に頂上に強く引き寄せられていたにちがいないでしょう。天候も悪くなく、補給酸素の助けもある。一緒にいるアーヴィンも元気。とうとう北東稜に出ることができた! あと少しで、夢にまで見た頂にたどりつけそうだ。あと少し……。事実、支援に回っていたオデルが目撃したのも、マロリーとアーヴィンが「力強く」登っているところでした。

 

その後、マロリーたちが頂上に達してから引き返したのか、頂上の手前で引き返したのかはわかりません。滑落したときの状況も、それが昼間だったのか日没後のことだったのか、先に落ちたのがマロリーだったのかアーヴィンだったのか、今のところは想像するしかありません。

 

あれほど岩登りが得意だったのに、(恐らく)北壁のそう難しくないはずの斜面から落ちたのはマロリーにとってどんなに不本意だったことでしょう。でも、何があったにせよ、マロリーは最後まで若いアーヴィン、隊員みながかわいがっていたアーヴィンを守ろうとしたはず。私にはそう思えてなりません。

 

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