『沈黙の山嶺』おもしろ小話集 第4回 チャールズ・ハワード=ベリー(1921年隊 隊長)(1)

*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。

 

チャールズ・ハワード=ベリー
Charles Kenneth Howard-Bury [1881-1963]
1921年隊 隊長
イートン校を経て、サンドハーストの王立陸軍大学を卒業。1918年春季攻勢で捕虜となるも、脱走に成功(10日後にふたたび捕まる)。ヤングハズバンドの要請でインドに赴き、4カ月に及ぶ交渉や下見を行なって、21年の偵察隊派遣への道を開いた。

 

 

イギリスが1920年代に行なった3度のエヴェレスト遠征のうち、初回の1921年は登山よりも情報収集が重視されていました。なにしろ、エヴェレストに登ろうにも、正確にはどこにあるのかも、どんな形をしているのかもわかっていなかったのです。そこで1921年の遠征隊は、ジョージ・マロリーら登攀要員のほか、地図を作る測量士や、エヴェレスト周辺地域の動植物を調べる調査員、地質学者などで構成されていました。

 

大英帝国の期待を背負い、世界最高峰に登ろうと地図もない未知の土地に乗り込んでいった21年隊を率いたのはチャールズ・ハワード=ベリーという軍人です。ハワード=ベリーは経験豊かなリーダーとして隊をまとめ、偵察を成功に導きます。27もの言語に堪能で、第一次大戦前から世界各地を旅し、文筆家としても優れていました。イギリス政府やインド政庁に豊富な人脈を持ち、隊の集合写真にはいかにも上流階級出身らしい洗練された装いで写っています。

 

続く

 

おもしろ小話集 目次

1921年遠征隊の集合写真。ハワード=ベリーは後列左から二人目。標高5000メートルを超えるキャンプで撮影された写真ですが、ハワード=ベリーは千鳥格子の上着にネクタイをして中折れ帽らしきものまでかぶっています。ちなみにジョージ・マロリーは前列左端。前列右端が、のちにビルマで暗殺されるヘンリー・モーズヘッド。

(写真は Wikimedia Commons より)