*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。
チャールズ・ブルース
Charles Bruce
[1866-1939]
1922年隊 隊長/1924隊 隊長(途中交代)
ハーロウ校卒業。ナンガ・パルバットやナンダ・デヴィ山群など、ヒマラヤで数々の登山を行なう。対戦中は第五グルカ・ライフルズ連隊で頭角を現して指揮官となり、ガリポリで両足に重傷を負う。22年隊を当時の最高到達記録更新に導いたが、雪崩事故により撤退。24年隊ではマラリアで衰弱し、パーリでやむなく離脱。
前回紹介した1921年隊の隊長、チャールズ・ハワード=ベリーは、天山山脈から連れて帰ったクマと格闘するのを楽しみにしていましたが、22年隊の隊長、チャールズ・ブルース将軍は自身のニックネームがバルー(ネパール語でクマ)でした。以下は、1922年の隊員ジョン・モリスが初めてブルース将軍に会ったときの場面です。
疲れきったモリスがやっとダージリンのホテルの部屋に落ち着いたとき、突然誰かが部屋のドアをたいへんな勢いでたたいた。モリスが返事をする前に、クマのような大柄な男がずしずしと入ってきて、流暢なネパール語でまくし立てた。「ほとんどが汚い言葉や卑猥な内容で、ひとしきりしゃべると男は学校でふざける少年のように大声を上げて笑った」。これが遠征隊の隊長、ブルース将軍だった。(第十章)
ブルース将軍、別名「ぶん殴りのブルース」は相当な力持ちだったらしく、『沈黙の山嶺』にもこんな記述が出てきます。にわかには信じられません!
若いころのブルースはとにかく強く、椅子に坐っている男を腕を曲げずに自分の耳の高さにまで持ち上げることができた。体力を維持するために定期的に当番兵を背負ってカイバル峠の斜面を走って上り下りし、中年の大佐になっても一度に部下六人と組み打ちをしていた。(第二章)
将軍は、十八番は一組のトランプを丸ごと二つに破ること、ちょっとした運動といえば自分の部下を背負ってその辺の山を上り下りすることで、身体は銃痕でいっぱいだった。(第十章)
『沈黙の山嶺』には、ブルース将軍の豪傑ぶりがよく表れているエピソードがほかにもあります。次回はそれらをご紹介しましょう。