『沈黙の山嶺』おもしろ小話集 第8回 傘が大活躍! 英国ジェントルマンの山行 (1)

*『沈黙の山嶺』おもしろ小話集は、『沈黙の山嶺』が最初に刊行された2015年に白水社のウェブサイトで連載されていたものです。復刊を記念し、ここに再掲します。

 

 

イギリスのジェントルマン(紳士)といえばボウラー(山高帽)をかぶってステッキや傘を持っている、そんなイメージが私にはあります。1920年代のエヴェレスト遠征は3回とも、まぎれもなくイギリスの紳士による山行でした。各隊員には身の回りの世話をする従者が一人ずつ付いてまでいます。紳士の中の紳士、ハワード=ベリー隊長の標高5000メートルでのおしゃれぶりは、連載第4回でご紹介したとおりです。

 

今回はイギリス紳士をテーマに、『沈黙の山嶺』で傘が出てくる箇所を抜き出してみました。まず、1921年に登攀班員として参加したガイ・ブロックに登場してもらいます。本業は外交官で、遠征中も暇さえあればチョウを追いかけに行っていたブロックは、ピンク色の傘を携行していました。

 

「翌日に自分の荷物を整理したブロックは、ピンク色の傘と大きな背囊のほか、その日の朝ティンリの市場で買った土産物は置いていくことにした」(『沈黙の山嶺』第七章)

 

ブロックのこの傘はのちにちゃんと役に立ったらしく、第九章に、「下山時にはみぞれと雪が降り、ブロックはピンク色の傘を差した」という記述があります。

 

『沈黙の山嶺』には、ピンク色の傘の意外な使用法も出てきます。

 

「マーシュは……徒歩でナイル川源流まで旅し、あるときは突進してくるサイに向かって大胆不敵にもピンク色の傘をぱっと開いて危機を脱したこともあった」(第五章)

 

これを読んで映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のとあるシーンを連想したと書くと世代がばれるでしょうか。ちなみにこのマーシュという人物はのちにウィンストン・チャーチルの私設秘書となるのですが、マロリーのことが好きでした。第一次世界大戦の後半、マロリーが危険な前線に送られず、結果として戦死せずにすんだのは、マーシュがなんらかの手を打ったからではないかと『沈黙の山嶺』の著者ウェイド・デイヴィスは推測しています。いずれにしても、マロリーをめぐる複雑な恋愛事情については稿を改めましょう。

 

続く